脱・下請け。プラスチックメーカーを変えた3つの人脈~本多プラス – PRESIDENT Online

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愛知県新城市。戦国時代、長篠の戦いで武田勝頼率いる騎馬隊に対峙した織田信長・徳川家康連合軍が陣を置いた丘の上に、主要工場を構えるプラスチック成型メーカー「本多プラス」の本社がある。

以前、本多プラスは文具メーカーの下請け仕事がほとんどで、売り上げの大部分は修正液容器の生産だったという。しかし3代目で現社長の本多孝充氏が入社したのを期にデザインに注力。取引先を化粧品や医薬品、食品分野に拡大して、業績が急成長している。

中小企業の社長が、子息への代替わりを契機に、突然変異のように成長する「第二創業」。本多プラスはその典型例ともいえる。早稲田大学ビジネススクール入山章栄准教授が、同社の成功のポイントを解説する。本多プラスを変えた“三つの人脈”とは?

本多プラスの3代目社長、本多孝充氏。

プラスチック加工メーカーの苦難

父から子へ、事業承継がうまくいかず苦しんでいる中小企業は日本に数多くあります。パワフルな父のワンマン経営をそのまま引き継ぐことは難しく、子からすれば、従来の事業はジリ貧で、このままでは生き残れないように感じる。また、若い自分が変革をしようとしても、父世代の古参社員がついてきてくれないというジレンマ。その壁を乗り越えられないのです。

一方で事業承継を期に、代替わりをした子息が革新的にビジネスを変えて成功する事例も出てきています。本多プラスは、その「第二創業」を成功させた典型事例といえます。

戦後間もない1946年に本多社長の祖父が創業した同社。父の代では技術開発に力を入れ、修正液の容器や野球の応援で使うV字型のメガホンもつくるなどして拡大します。しかし、主な素材として使用していたプラスチックがダイオキシンを発生すると報道され、さらに中国の台頭で、次第に業績は停滞します。

そこに、イギリスでMBAを取得して帰国した孝充氏が1997年に入社。当時の同社は、売り上げの8割が文房具の修正液ボトルの製造という、典型的な下請け状態でした。従業員は約60人で、業績はジリ貧。父は絶対的なパワフル社長。失礼ながら、事業承継が失敗する条件は揃っていたと言えるかもしれません。

それが今や、取引先は文具メーカーだけでなく、大手化粧品、医薬品、食品メーカーに拡大。取扱い製品数は約2万アイテム、取引社数3500社、従業員200人と右肩上がりの急成長を続けています。2013年にはベトナムに生産拠点を開設し、自社ブランドを立ち上げて、東京表参道に店舗もオープンしました。

なぜ本多プラスは事業承継がうまくいったのか。キーワードは自社での「デザイン」でした。2004年からデザイナーの採用を始め、2006年に東京・南青山にデザインオフィスを設立。当時専務だった孝充氏がクリエイティブディレクターに就任しました。本多プラスがユニークなのは、このデザインオフィスを営業拠点と位置付け、デザイナーが自らクライアントに足を運んで商品を売りに行くこと。自社の技術を最大限活用し、商談の場でどんなパッケージができるかを話し合える体制を取り始めて以来、下請け状態からクリエイティブ企業へと大変革を果たしたのです。



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