二村ヒトシ×名越康文:組織での生きづらさは「受け入れる」ことで解放される

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皆、働いてぜいたくがしたいわけではなく、物語をほしがっている

名越康文(以下、名越):これまでの「男は黙ってサッポロビール」の呪いや、「男であろうとする」というお話から、記号としての「男らしさ」こそが「生きづらさ」の元凶にあるということですよね。では、そもそも多くの人が思っている「男らしさ」とは、いつ生まれたものなのでしょうか?

二村ヒトシ(以下、二村):第1回で話した「男は黙ってサッポロビール」というのは、高度成長期に合わせた価値観。さらに大昔、前近代の封建社会では、そもそも男と女は違う生き物だと思われていたわけです。

名越:侍の場合、男と女はあまり一緒にいてはいけないと考えられていた。侍は名目上いつか戦場に行くという前提で日常を過ごすわけで、いわゆる家族愛とかはそんなに深くはないし、前提として深く置けないんです。

二村:日本の武家社会では衆道(※1)が一般的でしたし、西洋では古代ギリシャ・ローマ時代もそうだったと言います。男女のセックスだけが「まとも」だという概念は、「産めよ増やせよ」を奨励するユダヤ教やキリスト教が、同性愛を禁じたことで広まったのでしょう(ただし、現代のキリスト教では同性愛を禁じていない宗派もあります)(※2)。日本人の多くはキリスト教徒ではありませんが、現代人の恋愛観は、キリスト教の影響を強く受けています。

逆に言うと、キリスト教の影響をそれほど受けていない世界においては、男女のセックスはあくまでも子どもを作って血縁を形成するためのもの。欲望のためのセックス、あるいは「関係を強固にするためのセックス」は、むしろ男同士でするほうが自然だった。

名越:絆を深めるためですよね。そもそも、生きるか死ぬかを一緒に戦うこと自体、すごいエクスタシーのはずですから。その名残が、セックスこそないですが、高度成長期までは企業戦士として、みんなで一緒に戦うオーガズムがあった。それが、かりそめの「男らしさ」になっていったんです。

二村:現代の男性社会で生きている男たちの多くは、男同士のセックスを気持ち悪がって差別する一方で、男同士つるむのが大好き。そして、お互いに男性性を期待して要求する。まあ、会社組織が「男だけの軍隊的な集団」としてうまく機能していた時代なら、かりそめの「男らしさ」でも問題なかったんだろうと思うんですが……。

名越:でも、今は年功序列も、終身雇用も崩壊して、働くうえでの男同士のエロスは消えているはずなんですよ。戦士的というか、疑似家族的なものがなくなって、スカスカになっているのに「もっと働け!」では、ただ疲弊するだけです。

二村:「上司の男気に惚れた!」みたいな話を聞かなくなりましたよね。それよりも、みんな「自分が必要とされている」みたいな物語がほしい。どちらにせよ人間は、ただ仕事があってお金を稼げる、というだけでは、くたびれてしまう。

自分が楽しく生きるには、どんな物語が得られれば満足なのか。それは一人ひとりの心に空いた穴の形によって違うはずなんです。「どうすれば自分が幸せなのか」を知ること、今の社会の常識にとらわれず、いろんな自分を知って「俺って、けっこう変態だったんだ……」と驚くことが、生きやすさにつながると僕は思います。





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