フルタイム戦直前に出た、川田の申し出!KENTAに60分戦い抜けた秘策?激闘オカダvsオメガ!「60分時間切れ引き分け特集」! – GignoSystem Japan, Inc. (風刺記事) (プレスリリース) (ブログ)

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フルタイム戦直前に出た、川田の申し出!KENTAに60分戦い抜けた秘策?激闘オカダvsオメガ!「60分時間切れ引き分け特集」!

G1ではない、蝶野の自選ベストバウト

 6月も半ばを過ぎたが、この時期になるとインタビューの類が増えがちなレスラーがいると思う。第1回G1 CLIMAX優勝者・蝶野正洋である。お馴染みの夏の祭典が近づくにつれ、こう聞かれるのである。「記念すべき1回目の優勝の瞬間のお気持ちは?」 かく言う筆者も同様の趣旨でインタビューさせて頂いたことがあるのだが(しかも複数回)、蝶野さんの答えは、一貫していた。

「それ、この時期、よく聞かれるんだけどねえ、覚えてないんだよね~」(※怪我を負いながらも戦い抜いた2回目の優勝の方が、よほど覚えているそう。)

 それではと、こんな風に水を向けたことがあった。「では、ご自身で一番印象に残ってる試合って、どんなものがあるでしょうか?」 蝶野さんは顔をほころばせながら、こう答えてくれた。

「福岡だったかな?永田と60分時間切れだった試合(02年10月)。60分フルタイム戦うというのは、プロレスラーにとって、本当、ステイタスだったからね。俺もとうとうそこまで来たかと……」

 さる6月11日、ご存じのようにオカダ・カズチカとケニー・オメガが、60分時間切れを戦った。その実績は、選手たちにとっては有名タイトル保持とは違った、また格式ある称号なのだ。今回の当欄は、この「60分フルタイム引き分け」の試合を特集したい。

プラス、延長の12分(計72分)で決着した猪木&星野vsニック&クイン

 日本プロレス有史以来、60分時間切れまで行った試合は、全68試合(61分1本勝負、その後に延長で決着がついたものも含む。70年11月の猪木&星野勘太郎vsニック・ボックウィンクル&ジョニー・クインなど)。その最初は、ノーフォールのまま時間切れとなった、57年10月の力道山vsルー・テーズ。“ノーフォールのまま”と但し書きしたのは他でもない。3本勝負で、結果、3本目(もしくは2本目など)で時間切れとなった試合も、この数の中に入っているため。だが、世代的なものもあり、時間内に、1度は決着がついてるものをフルタイム戦とするのはよしとしない価値観もなくはないだろう。

 そこで、改めて、「60分ノーフォール」のフルタイム戦を洗い直すと、先日のオカダvsオメガまでで、計23試合。順に見て行こう。

 力道山vsテーズの次は、当時、合同興行で旗揚げした国際プロレスの旗揚げ戦でのダニー・ホッジvsヒロ・マツダ(67年1月)。日本プロレスでの馬場vsジン・キニスキー(68年12月)などを経て、馴染みの名が並ぶのは、85年11月のジャンボ鶴田vs長州力か。同一戦は試合前、マイクで「両者リングアウトによる引き分けはなし」とコールされたので、期待が高まったのだが……。内容では鶴田の圧勝だったとされる同試合。しかしその長州が、試合終盤、初公開のジャーマン・スープレックスを出したのが印象深い。アマチュア・レスリングでの実績からも比較されることの多い両者だっただけに、この方面での地力も見せつけた長州。それは、鶴田相手だったからの意地ではなかったか。

 80年代は、猪木vsブロディと猪木vs藤波(88年8月)しかフルタイム戦がなく、90年代に至っては1戦もなかった新日本だが、02年から03年にかけて3試合(永田vs蝶野、永田vs中西など)。タフな新日本を見せつけたが、この頑張りは、武藤敬司、小島聡らが抜けた直後だったことと、無関係ではあるまい。

 死闘が多い印象のNOAHでは、意外にも08年10月のKENTAvs丸藤のみ。このシリーズ、客出しの曲はKENTAが選んでいたのだが、曲はMr.Childrenの「終わりなき旅」。まさに同曲を彷彿とさせる、永遠のライバルらしい一戦となったわけだが、試合前日の調印式で、KENTAはこう予告している。「非常にリラックスしてますね。大一番を前に遅刻してるくらいなので」。実はこの日の調印式に、KENTAは40分も遅刻して来たのだった。「寝坊した」らしいが、ここで過眠を取っていたことが、60分戦うスタミナに繋がったのかも!?

フルタイム戦の宝庫、四天王プロレス

 そして、フルタイム戦が多発したプロレスと言えば、何より90年代の全日本・“四天王プロレス”。5試合もあり、うち2試合は三沢、小橋vs川田、田上(95年1月と、同年10月)。冒頭の蝶野が言うにはステイタスのはずなのだが、1戦目でタイトル奪取に失敗した田上が、「骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだよ……」とボヤいているのが可笑しい。95年3月の6人タッグ、馬場&川田&田上vs三沢&小橋&ハンセンは、もともとハンセンの位置に浅子覚が入っていたのだが、そのハンセンと一騎打ちする予定だったスティーブ・ウィリアムスの欠場により実現した夢のカード。60分の時間中に、馬場のラリアットは出るわ、川田の側転エルボーは出るわで、レア技のオンパレード。フルタイム戦の魅力はこういったところにもあるかも知れない。

 残りの2つはいずれも川田vs小橋(96年10月など)なのだが、中でも阪神大震災の2日後に行われたフルタイム戦は特筆されるべき。「60分の間だけでも、辛さを忘れてくれたら……」の小橋の試合後談話が胸に迫る。ノーテレビの一戦と言われ、伝説化しているのだが、震災で放送局が現地入り出来なかったのである(ビデオはあり)。試合後に起きた感動的な「全日本」コールも語り草だが、個人的には試合前、三冠王者としてメインを戦う川田が関係者に頼んだ言葉が印象深い。

「一人になれる控室を用意してくれませんか?」

 口下手な川田の、同一戦への覚悟と緊張があふれ出た切願ではなかったか。

西村がシューズを脱いで戦った例も(02年6月・蝶野&天山vs西村&中西)

 60分の間には、思わぬ出来事も。鷹木信悟vsB×Bハルク(08年6月)でもハルクが膝を負傷したが、最後まで戦い抜き、感動したCIMAが、自らのタイトルを返上し、両者での決定戦へと促した。69年12月、“テキサスの若馬”、ドリー・ファンク・ジュニアとフルタイム戦を戦った猪木は、最初から左手の中指を骨折していた。にもかかわらず、最後まで戦い抜いた猪木を評し、ドリーの父の、ドリー・ファンク・シニアは言った。「猪木は、カミカゼだ」。ドリーが聞く。「カミカゼって、なんだ?」、「イッツ・クレイジー」。ドリーは、「ノー」と言い、最大級の賛辞を猪木に送った。「猪木はカミカゼなんかじゃない。テキサス人以上のガッツマンさ」

 60分を戦い得るのは、何よりその強き精神力の持ち主。偉業をなした名士たちを、改めて讃えたい。

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