デ・スーナーズと柴田良三さん – GQ JAPAN

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日本にバブルの気配などみじんもない頃、茅ヶ崎にパシフィックパーク茅ヶ崎というリゾート施設ができた。プールにボーリング場、ドライブインにビリヤード場の他、ホテル施設には44の客室があった。開業は1965年、1945年の敗戦からわずか21年後のことである。メタボリズムと呼ばれる建築運動の提唱者の一人・菊竹清訓が建築を手がけた。

3階の中華レストラン「一閣」にはデ・スーナーズという専属バンドがいた。マニラで結成されたフィリピン人のグループだ。パシフィックホテルの経営者の一人だった加山雄三の妹夫婦がたまたま香港で演奏を聞き、スカウトした。

スーナーズを知ったのは柴田良三さんの取材でだった。

柴田さんは、1970年に日本で初めてのサンローランのブティックを青山通りに開き、その後、アルファ・キュービックという日本のファッションブランドを立ち上げた。バブル前、80年代の東京で、もっともしゃれていたブランドだった。

『GQ』2016年8月号での、60年代のリッチボーイたちの特集で取材を申し込んだ。柴田さんは長い間白血病で闘病中だったが、取材の快諾をいただき、梅雨の時期、鳥居坂のご自宅に伺った。鮮やかな黄色いスウェーターに質の良さそうな灰色のパンツを合わせていた。鎌倉山のハウス オブ フレーバーズのチーズケーキをお持ちしたら、パートナーの青木エミさんがかつてこちらの料理教室に通われていたとのことだった。エミさんが入れてくださったお茶を飲みながら、60年代の話を聞いた。

毎晩のように東京ボーリングセンターで遊んだ後、茅ヶ崎のパシフィックホテルまで踊りにいった。まだ東京に首都高速もなかった頃で、道はガタガタ、青山から茅ヶ崎まで2時間もかかったそうだ。

その日の夜、AmazonでスーナーズのCDを探した。「リズム&ブルース天国」という有名どころのカバーものを手に入れ、何度も聞いてから原稿を書いた。

あの頃の音だな、と思った。私は60年代のことは知らないけれど、でも、そう思った。退廃的でピュアで青臭くて同時に成熟していてシンプルで、そういう空気をまとった音なのだ。

取材の後に体調を崩されて入院したと聞き、お見舞いにそのCDをお送りした。夏の終わりに、退院したと電話をくださった。

「まさか、また彼らの声や演奏が聴けるとは思わなかったよ。なつかしいあの頃のことをたくさん思い出しました。ありがとう」

退院祝いの食事会のお誘いだった。柴田さんの友人であるボルピチェリ考子さんがイタリア料理の腕を振るい、食後はみんなでスーナーズを楽しむのだという。

ホテルオークラ近くの低層マンションの瀟洒な部屋には、「あの頃の若者たち」が集まっていた。それぞれの分野で、はなやかな東京を作り出してきた顔ぶれだった。ヌーベル・シノワの先駆けである「ダイニズテーブル」の岡田大貳さんもいらした。私だけがタイムマシンに乗ってきた部外者のようで、変ないい方だけれど、心地の良い居心地の悪さを楽しんだ。

食事の後、居間でスーナーズを聴いた。スーナーズの音楽は、彼ら彼女らを一気にあの時代に戻してしまうらしくて、誰と誰がくっついたとか離れたとか、誰それはどんな車に乗っていたとか、たわいもない噂話やなつかしい昔話が繰り広げられた。





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