阪急「 番街」なぜ数字(もっと関西) – 日本経済新聞

Home » 百貨店 » 阪急「 番街」なぜ数字(もっと関西) – 日本経済新聞
百貨店 コメントはまだありません



■NY5番街に憧れて

 大阪市のキタの中心地で交通の要でもある阪急梅田駅。買い物客や通勤客でにぎわう駅周辺では「阪急三番街」「17番街」「32番街」と数字を冠した施設が目に入る。なぜ数字なのか、なぜ3、17、32なのか……。不思議に思い名前の由来を探ると、阪急の成長とともに発展した梅田の軌跡が浮かび上がってきた。

 梅田駅から徒歩8分、阪急阪神ホールディングス(HD)本社を訪れた。広報課長補佐の吉井伸一さんによると、阪急の“番街シリーズ”のさきがけは、今は無き「新阪急八番街」という。1962年完成の新阪急ビルの地下1、2階にありブランド店やレストランが入っていた。隣接する阪神百貨店の建て替えのため2014年に姿を消した。

 「八番街の八は当時の住所」と吉井さん。新阪急ビルが建っていた場所は北区梅田8番地。現在の北区梅田1丁目12の39だ。「八が末広がりで縁起が良いのでそのままつけたようです」

 肝心の番街については「ニューヨーク5番街をモチーフにした」という。高度成長期の日本にとってニューヨークはあこがれの街。特にマンハッタンを南北に貫く5番街は高級ブランド店や宝石店などが立ち並びニューヨークを象徴する大通りだ。その華やかなイメージを梅田に求めた。

 八番街の次が1969年の三番街だ。もともと現在の阪急百貨店の場所にあった梅田駅がホーム拡張のため現在の場所に移った。その際に駅直結のショッピング施設ができる。住所は大阪市北区小深町3番地(現・北区芝田1)。八番街の流れを受け継ぎ、3番地から三番街と名付けられた。

■小林一三の理想 梅田進化

 「移設直後の梅田駅周辺エリアは戦前からの古い家やバラック小屋などが広がり、未開発の印象が強かった」と話すのは都市計画に詳しい大阪市立大学の嘉名光市教授。「阪急はニューヨークを意識した『番街』で豪華な雰囲気を醸し出し、寂れたイメージの払拭を図ったのだろう」という。

 三番街の開業当初のコンセプトは「川が流れるまち」。地下2階に人工の川が流れ、熱帯魚が泳ぐ水槽も作った。「地下に豪華な公共空間を設けたのはインパクトがあった。建物の中に街を築く手法は、その後の開発の一つの手本になった」と嘉名教授は指摘する。

 その後完成した17番街(72年)と32番街(77年)は番地ではなく「フロア数が由来になった」(吉井さん)。17階建ての阪急ターミナルビルの17番街は高級ブランド店が入るショッピング街に。32階建て阪急グランドビル上層階の32番街にはレストラン街と展望エリアができた。2つの高層ビルはオフィスも併設。本町、淀屋橋などと並び、梅田がオフィス街として発展する先駆けとなった。

 番街をつけたショッピング施設は全国にある。JR東京駅八重洲口には東京駅一番街があり、長崎県佐世保市に五番街、金沢市には百番街と枚挙にいとまがない。だが、ほとんどが新阪急八番街より開業が遅く「ニューヨークを意識したものではない」(「東京駅一番街」広報担当者)ようだ。

 阪急阪神HDはもともと創業者の小林一三氏の時代に、梅田駅周辺を観劇などの娯楽を兼ね備えた街にしようと構想した。創業から約110年たった今も共通するのは梅田を魅力的な街にしたいという思いだ。

住・遊・職が一体の街

 ニューヨーク・マンハッタンに目を移すと、現在は目抜き通りの5番街沿いに高級デパートがあり、トランプタワーなどのオフィスを兼ね備えた高級マンションが立ち並ぶ。まさに娯楽、ビジネス、住まいの三位一体の街に進化した。梅田もここ数年、タワーマンションの建設が相次いでおり、住まいの整備が進む。

 「今のところ新しい番街をつくる予定はありません」と笑顔で話す吉井さん。阪急阪神HDにとって番街をつけない開発は、梅田周辺の街づくりに対する自信の表れかもしれない。

(大阪社会部 大畑圭次郎)





コメントを残す